主日の福音

【復活節第二主日ヨハネ20:19-31 その3】

前回に続いて「わき腹」をヘブライ語に訳するとやはり創世記が思い浮かびます。そこには、

主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた(創世記2:21)。

とあります。ここでの「あばら骨」がわき腹にあたります。これを踏まえるとトマスは「わき腹に手を入れる」という表現によって神様が新しい人間を創られたようにイエス様の「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」という言葉が実現した有様のことを語ったと考えられます(3:3c)。

トマスは双子を意味するディディモと呼ばれていますが、もう一人は登場しません。それは復活したイエス様に会っていない読者が、トマスの兄弟つまりもう一人のトマスのように復活についての疑いをもつ者という隠喩なのかも知れません。ヨハネ福音書の結びとしてイエス様はトマスに「見ないのに信じる人は、幸いである」と語りました(20:29c)。最終的にこのイエス様の言葉に導くための伏線として、トマスの言葉があるのではないでしょうか。

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