ディデモと呼ばれるトマスはヨハネ福音書に登場します。彼は復活した「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました(20:25)。彼が口にした「釘」は一連のコヘレトの言葉を思い起こさせてくれます。そこには、
コヘレトは望ましい語句を探し求め、真理の言葉を忠実に記録しようとした(コヘレト12:10)。
賢者の言葉はすべて、突き棒や釘。ただひとりの牧者に由来し、収集家が編集した(コヘレト12:11)。
それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる(コヘレト12:12)。
とあります。これらのコヘレトの言葉は一読してヨハネ福音書の結びとの類似性が見られます。つまり「コヘレト」を福音記者ヨハネ、「ただひとりの牧者」をイエス様、また「賢者」を原語では複数形が使われているため使徒たちとし、さらに「収集家」も原語では複数形なので福音記者たちとして捉えることができるのではないでしょうか。次回は「跡」についてお話ししたいと思います。