このコラムではいつも旧約聖書を引用して福音を解説していますが、それは福音を理解するために当時のユダヤ人たちが福音をどのように聞き、理解したのかという観点に基づいて読む必要があるからです。イエスが福音を宣べ伝えられた約2000年前のユダヤ人社会では、基本的に労働者や女性は読み書きができなかったと考えられています。
多くの人々にとって聖書は読むものではなく、聞いて覚えるものでした。そのため人々は会堂で聞いた多くのことを教えとしてだけでなく、娯楽の少なかった時代に何らかの刺激あるものとして覚えていたと考えられます。黒電話の時代を知っている方にとって、当時は顧客の電話番号を30件くらい覚えているのは当たり前だったことでしょう。この例からもユダヤ人たちが聖書に馴染んでいた理由も窺えます。
そもそも福音と旧約聖書が別物であったら当時のユダヤ人たちは見向きもしなかったでしょう。自分が知っている旧約聖書の箇所を思い起こし、そこから新たにイエスの伝えた福音について考えられるからこそ、イエスを神の独り子であると信じられたのです。イエスの言葉を聞いて心の中では「上手いことを言ったな」とほくそ笑んでいたかも知れません。
つまりギリシア語を話すユダヤ人たちに馴染みのある旧約聖書という土壌の中で紡ぎ出された言葉が福音書となっているのです。こうして旧約聖書は新約聖書の中でその意味が明らかになり、同時に新約聖書を照らし説明しているのです。