引用したホセアの預言の次節には、
ユダの人々とイスラエルの人々は/ひとつに集められ/一人の頭を立てて、その地から上って来る。イズレエルの日は栄光に満たされる(ホセア2:2)。
とあります。ここでの「ひとつに集められ」「一人の頭を立てて」の“ひとつ”“一人”にイエス様を読み込めるでしょう。まずここでの「集められ」を考えるとイザヤの預言が思い浮かびます。そこには、
主は諸国の民に向かって旗印を掲げ/地の四方の果てから/イスラエルの追放されていた者を引き寄せ/ユダの散らされていた者を集められる(イザヤ11:12)。
とあります。この節の歴史的な背景としてはイザヤの預言にとって非常に重要な出来事であるアッシリアの脅威、またシリア - エフライム戦争を前にしたユダ王国の動揺があります(補遺参照)。ここでの「旗印」こそ「エッサイの株」から芽吹き育った若枝、即ち、ダビデの末裔たる救い主のことです(イザヤ11:1)。「ダビデの子」という呼称には歴史上もっとも繁栄したダビデの時代の再興の期待が込められています。それを踏まえルカでは選ばれた者として「神の子」という表現が使われていると考えられます。