また「一人の頭」はエレミヤの預言を思い起こされてくれます。そこには、
ひとりの指導者が彼らの間から/治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので/彼はわたしのもとに来る。彼のほか、誰が命をかけて/わたしに近づくであろうか、と主は言われる(エレミヤ30:21)。
とあります。この節の背景には主なる神が「わたしは、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる」との言葉からバビロン捕囚からの解放があることが分かります(エレミヤ30:3b)。その解放とは「イスラエルとユダの繁栄を回復する日」を意味します(エレミヤ30:3a)。であればここには一人の指導者による希望が織り込まれていると言えるでしょう。この「指導者」は原語では“偉大な(者)”を意味する単数の形容詞で表現されています。また「頭」と訳された言葉は原語では“長”も意味することから“偉大な者”を意味する考えられます。この「指導者」こそイエス様を意味していると言えるでしょう。この指導者による希望にはイエス様により民がひとつに集められ、神の国がこの地上で実現するということを読み込めるのです。