マタイに於いてのみペトロはイエス様を「神の子」と呼びます。これはホセア、イザヤ、そしてエレミヤの預言を踏まえバビロン捕囚からの解放、また離散した民族がひとつに集められるという希望に基づくものであると考えられます。それはダビデ王国がそうであったようにユダヤ人が神の民としての在り方を回復することでもあります。この希望はローマ帝国が支配するイエス様の時代にあって民の中では潰(つい)えそうになっていたことでしょう。しかしペトロはイエス様がその待望を神の国を通じて実現してくださると信じていたのです。ホセアを踏まえれば神様がアブラハムに約束されたようにイエス様を信じる者たちもこの上なく増えていくことの期待がその前提にあったと思われます。そもそもユダヤの民は神の民なのです。ホセアにあるようにイエス様を神の子でありメシアであると信じる者たちは神様から「あなたたちは、ロ・アンミ(わが民でない者)」と/言われるかわりに/「生ける神の子ら」と言われるようになる」のです(ホセア2:1)。こうしたことを福音記者マタイは「神の子」という言葉に託し、ペトロに語らせたのではないかと考えられます。
主日の福音