前回引用したエレミヤの預言の節は、
司式者:背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。
会衆者:我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。
といったかたちに分けて考えられます。これはおそらく祭儀に於ける司式者と会衆者との対話形式の句であるとも言えるでしょう。福音の広がりとはその教えが伝わることだけではありません。この対話句に見られるように自己の拠り所を神様に見出すことにその本質があるのです。それは己の罪を知り、神様へ立ち帰る必要性を悟ることであると言えます。神様への立ち返り、即ち、回心が必要なことは神様御自身が「あなたの犯した悪が、あなたを懲らしめ/あなたの背信が、あなたを責めている」と語られています(エレミヤ2:19a)。そのこと自体に人は気付いていないものです。「狼」と形容される背信の輩(やから)たちも「我々の主なる神」に立ち帰ることを神様は望まれているのです。ここにイエス様の意図を見出せるのではないでしょうか。このことがイエス様が語られた「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と言う言葉に集約されているように思えます(5:32)。