前回引用したエレミヤの章の始まりで神様は「正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう」と思われていました(エレミヤ5:1b)。これと似たような場面が創世記に於けるソドムの町についての記述に見られます(創世記18:32)。ということは弟子たちが赴(おもく)く町々には狼に譬(たと)えられる背信の輩(やから)が必ずいるということです。しかし創世記やエレミヤの預言にあるように町の中に僅(わず)かでも正しさと真理を求める者がいるのなら、神様がそのようになされたようにイエス様もきっと赦されることでしょう。おそらくこのようなことが「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」というイエス様の言葉に織り込まれているのではないかと考えられます(10:3c)。
エレミヤの預言で狼は茂みや林といった森林地帯に生息しています。このような場所を福音記者ルカは「荒れ野」という言葉をもってイエス様が公生活を送られる前のこと、また洗礼者ヨハネが教えを宣(の)べ伝え始める前のことも描写しています(ルカ1:80; 3:2; 3:4b;イザヤ40:3参照)。次回をこのことを踏まえて考えてみましょう。