主日の福音

【年間第十五主日 ルカ10:25-37 その2】

引用した節を含む話は「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」という神様の言葉に集約されます(Ⅰサムエル15:11)。このことを理解するために古代イスラエル史を極簡単に振り返っておきます。

民の強い求めにより強国に倣(なら)ってイスラエルは王制となりました。本来、王制はイスラエルにとって異教的なものであり、主なる神を信じる民の本質に合致しないものでした。なぜなら王制は神様の主権を侵害するものであると考えられていたからです。民の要求の根本にはペリシテの脅威がありました。この強国に国として戦い、勝利することによってイスラエルは安定した国家になるであろうという政治的な思惑が彼等にはあったのです。

さて王制となった後、神様はなぜか「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」と神様はサムエルの口を通じてサウルに命じました(Ⅰサムエル15:3)。「なぜか」と書いたのはこの討伐の意図は歴史的にみて合理的な理由を見出せないからです。だからこそこの理由を考えてみましょう。

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