イエス様は「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」、「はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる」と言われました(12:35, 37b)。「腰に帯をしめ(る)」という言葉は原語では一語で表現されており、この言葉は旧約聖書では以下の三通りの使われ方があります。
1) 靴や杖、また武器を手にする動作と共に。
2) ターバンを巻いたり、重ね着をする動作と共に。
3) 宗教的に粗布をまとう動作と共に。
1と2は日常的な動作ですが、3は悔い改めを表象する行為と言えます。主人が僕に給仕するなど現実には絶対にありえません。ありえないからこそ「たとえ」なのです。そこで改めて「腰に帯を締める」という二語での表現を旧約聖書に求めるとエレミヤの預言が思い浮かびます。そこには、
あなたは腰に帯を締め/立って、彼らに語れ/わたしが命じることをすべて。彼らの前におののくな/わたし自身があなたを/彼らの前でおののかせることがないように(エレミヤ1:17)。
とあります。この節について考えてみましょう。