主日の福音

【年間第二十主日ルカ12:49-53 まとめ】

前回引用した節はバビロン捕囚後の現実に対して預言者イザヤの口を通じて語られた神様の言葉です。実に捕囚から解放された民が故郷で見たものは廃墟となった街並みとそこに生きる同胞の荒んだ信仰生活でした。この状況は帰郷の喜びに満ちた彼らを失望させ、復興への期待を削ぐには十分過ぎるものでした。しかしこれも神様の計らいであり、それでも神様の救いを信じ、新しい道を切り開く勇気を鼓舞こぶする言葉が民に向けて語られたのです。これを踏まえればイエス様が語られた「苦しむことだろう」という言葉はあがわれた国、即ち、神の国で新たな命に至る苦難の道のりを案じておられることを表現したものであると考えられます。

その道のりはノアの洪水やバビロン捕囚のように、命や民族の拠り所を失ってしまうかのようなものかも知れません。しかし神様が「胎を閉ざすことがあろうかと」言われた通り、希望をもつことなしに神の国は実現し得ないものです。その希望は福音を信じることによって生まれます。民族の痛ましい記憶こそ希望の道標みちしるべになるとの思いから、イエス様はエレミヤやイザヤの預言を踏まえてこのようなことを語ろうとされたのではないでしょうか。

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