主日の福音

【年間第二十主日ルカ12:49-53 その3】

水と新しい祝福とを考えるとイザヤの預言が思い起こされます。そこには、

ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが/とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと/あなたを贖う主は言われる。これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないと/あのとき誓い/今またわたしは誓う/再びあなたを怒り、責めることはない、と(イザヤ54:8-9)。

とあります。これもまたバビロン捕囚にあって苦しみの中にある民に向けられた励ましの言葉です。ノアの洪水が罪のあがないとなり、その洪水を経て新しい大地が現れたことは地上が祝福されたことでもあります。そのあがないと同じことが終わるまでイエス様は深く苦しむであろうと語られているのでしょう。ここで「苦しむ」という言葉を考えるとイザヤの預言が思い起こされます。そこには、

わたしが、胎を開かせてなお/産ませずにおくことがあろうか、と主は言われる。子を産ませるわたしが/胎を閉ざすことがあろうかと/あなたの神は言われる(イザヤ66:9)。

とあります。ここで「胎を閉ざす」と訳された言葉がそれにあたります。これがどのように関係するでしょうか。

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