今日の福音でのイエス様の言葉を前半と後半に分けて考えてみましょう。
前半での「女から生まれた者」という表現はヨブ記で二回見られますが、意外にもこの表現はそれぞれ良い意味で使われていません。それらには、
どうして、人が清くありえよう。どうして、女から生まれた者が/正しくありえよう(ヨブ15:14)。
どうして、人が神の前に正しくありえよう。どうして、女から生まれた者が清くありえよう(ヨブ25:4)。
と書かれています。これら言葉はヨブによる自らの不幸の嘆きに対して彼の友人が語った言葉です。彼によれば神様の前にあってすべての天地を含めた存在は清いものではありません(ヨブ15:14-15参照)。であれば人間などは「水を飲むように不正を飲む者/憎むべき汚れた者なの」です(ヨブ15:16)。またもう一人の友人も同じように文学的に人間の愚かさを語ります。つまり彼によれば神様の前にあって、所詮、「女から生まれた」「人間は蛆虫/人の子は虫けらにすぎない」のです(ヨブ25:6)。イエス様はこの表現を用いることによってヨハネが他の人間とは異なるということを浮き立たせたかったのかも知れません。
注意したいのは「現われなかった」と訳される言葉です。原語でこの“現れる”を受動態で使えば“復活する”を意味することもあります。また受動態で表現されていることによってヨハネを誕生させた主体は神様であるということでもあるでしょう。このことは彼の誕生の次第を思い起こせば明らかになります(ルカ1:57-66)。つまりこの表現をもって時代はついに神様が必要とする人間を得たということです。このことをヨブ記を踏まえて強調しているとも考えられます。
後半では「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」と語られています。これは一読すると字面から天の国ではたとえちっぽけな存在であっても洗礼者ヨハネよりも立派であるといった内容であることが明らかです。それほど天の国にいる者は地上の如何なる存在よりも優れているということが表現されているように思えます。確かに原語では「最も小さな者」は“小さい”を意味する形容詞の比較級が名詞化され、「偉大な者」は“大きい”を意味する形容詞の比較級が同じように使われています。こうなるとイエス様が語られたのですから、同じ言葉をもって表現された節が聖書のどこかにあると考えられます。
前述した言葉が同時に使われている箇所を考えると知恵の書が思い浮かびます。そこでは、
万物の主はだれの顔色もうかがわず、/強大な者をも恐れない。大いなる者も小さな者も、御自分が造り、/万物を公平に計らっておられるからだ(知恵6:7)。
とあります。この節を含む章では為政者(責任を持つ者)といった「上に立つ者は厳しく裁かれるのだ」と話がまとめられています(知恵6:5)。また「あなたたちの権力は主から、/支配権はいと高き方から与えられている。主はあなたたちの業を調べ、計画を探られる」とあります(知恵6:3)。神様は創造主なのですからこの地上を恐れることもなければ、そこに住まう者たちが如何なる者であろうとも決してへつらうこともありません。
であれば神様の前にあってすべての存在は如何なるものも平等であり、偉大・強大な者と弱小・卑小な者との区別はありません。天の国では神様の御旨に従ってこの地上で如何なる時も神様を信じて生きてきたかということ以外は関係しないということです。つまり神様の御前にあって神様との関係をどのように生きているか、また生きようとしているかが問題になるのです。
ではイエス様の「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」という言葉は何を意味しているのでしょうか。確かにイエス様は天の国に於いてはたとえ地上で褒め称えられる人間であっても同じようなことはないということを強調されていると言えます。しかしそれはこの地上とはあたかも逆転的な状態になるということを言っているのではありません。日本人が考えるような 「自分のおかれた立場を宿業*1)のゆえにとみて、そのみじめさを、死後の世界での極楽浄土での幸福な生活を信じることで諦めるといった救い」があるように教え諭す江戸時代の念仏的な理解をイエス様は語っているわけではありません*2)。つまり天の国とはこの地上との逆転現象が起きることを期待する場ではないのです。生きる現実ではなく、生ける神様との関係の如何が問われるのです。
イエス様は御自分の回りに集まる小さな者や弱い者たちに単なる慰めを語っているのではありません。洋の東西を問わず生前の権力を誇示し、それが来世での栄光にも続くことを求めて大きな建造物や記念碑を建てたりするものです。この愚かさを言葉の裏で表現されているようにも思えます。
*1)仏教用語であり、生前に為した業の背景にある心の思いや行為それ自体、またその結果が及ぼしたものと考えられる。
*2)笠原一男『転換期の宗教』NHKブックス、1976年、141頁。