聖書を読むにあたって

「聖書」を読むということ

忘れがちなことなのですが聖書は何千年も前に書かれた古代の文献です。そしてそれは異なる歴史や文化、また言語によって書かれたものです。旧約聖書はユダヤ人の言語であるヘブライ語で書かれています。新約聖書はギリシア語を話すユダヤ人に向けてギリシア語で書かれたものです。であれば彼等ユダヤ人の土壌に基づいて読まなければ正しく理解できないということです。
往々にして私たちは聖書を読むにあたって日本人の文化や価値観に基づいて内容を理解しようとするものです。これでは時として聖書が語ることを読み間違えてしまいます。その結果、使徒伝来の正統信仰が見失われ、キリスト教日本派が形成されてしまうかも知れません。繰り返すように聖書はユダヤ人の土壌に立脚して読まなければその内容、及び意味することが正しく立体的に浮かび上がってきません。もし私たちが日本人の土壌で読むのなら、それは聖書を読んで理解したつもりになっていることに等しいと言えるでしょう。聖書を読み理解するために留意しなければならないことがあります。それは聖書には文字で書かれる以前の世界、文字で書かれた世界、そして文字を読む世界といった三つの世界があるということです。

 

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