主日の福音

【キリストの聖体ルカ9:11b-17 その3】

イエス様がパンを裂いてそれを弟子たちに渡したことは共通しています。しかしパンを配るのがマタイとマルコでは弟子たちですが、ルカでは群衆です(マタイ14:19;マルコ6:41;ルカ9:16)。このことはパンを通じて神の国の福音を告げ知らせる役割がイエス様から弟子たち、そしてその恵みを受けた群衆に引き継がれるべきであるということではないでしょうか。つまりルカではイエス様を通じたパンとはその場に居合わせた群衆だけが頂くに留まらないということです(マタイ6:43;マルコ14:20;ルカ9:17)。それゆえにルカに於いての動詞は今まで見てきたようにマタイとマルコとは異なり未完了形であると考えられます。おそらくマタイとマルコはアオリスト形*をもって群衆がパンを通じて「満腹した」こと、即ち、その奇跡性に着目しているのでしょう(マタイ14:20;マルコ6:42)。これに対してルカはパンの屑が十二籠あったことが神による統治を意味する12という数字に意味を持たせていると言えます。つまりルカ福音書に於ける「満腹した」とは同じアオリスト形でも神の国の先取り、即ち、神の国では飢えがないという現実が明らかになったことを表現していると考えられます(ルカ9:17)。

(*)アオリスト形とは既に終わった過去の一時点、また継続は含まない時制のこと。

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