主日の福音

【キリストの聖体ルカ9:11b-17 その4】

マタイ、マルコ、ルカには同じ出来事が書かれていることが少なくありません。しかしその細部やその出来事の配置も異なります。ということはその相違に各福音記者のイエス理解が反映していると言えます。つまり「この出来事は ~ についてのことあり、… という意味である」という型にはめた理解ができないということです。同じ供食物語でもマタイやマルコがアオリスト形で表現している言葉がルカでは未完了形でした。この時制の違いをもって福音記者ルカは供食物語に神の国の先取りを描き込んでいると考えられるのです。マタイとルカはこの話に奇跡性を織り込んでいることからこの続きが「湖の上を歩く」になっていると考えられます。これに対してルカではイエス様が神の国の到来を伝える救い主であること伝えるために続きが「ペトロ信仰を言い表す」となっていると言えるでしょう。

福音は福音を聞いた者たちが救われればよいということではありません。福音はまさに「すべての人々」の救いのためなのです(ルカ9:13)。まさにパンを裂くことを通じて神の国の福音を告げ知らせる役割はイエス様から弟子たち、そしてその恵みを受けた群衆に引き継がれるべきものなのです。

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