エルサレム入城にあたって弟子の群れは神様を賛美しました。主の昇天とは神様の御許にイエス様が迎え入れられることでもあります。それゆえに弟子たちは「イエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえ(た)」と考えられます(24:52-53)。イエス様のエルサレム入城にあたってベトファゲとベタニア付近の弟子たちの群れが「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように」と神様を賛美しながらイエス様への祝福を願いました。その「祝福」とイエス様の昇天を経験した弟子たちが神様を「ほめたたえていた」は原語では同じ動詞です(19:38;24:53)。また昇天を前にイエス様が弟子たちを「祝福された」のも同じです(24:50)。つまり「祝福」をもって三つの場面がつながっていると考えられます。であれば死と復活を経たイエス様が昇天するにあたって弟子たちをベタニアの辺りまで連れて行ったということはエルサレム入城のときの同じように人々がイエス様の祝福を通じて改めてイエス様とイエス様を復活させて栄光を現された神様を賛美する、またほめたたえるようになるということが織り込まれていると考えられます。
主日の福音