主日の福音

【復活節第三主日ヨハネ21:1-19】

ヨハネ福音書の21章は後代の加筆ですが、元々の文章との繋がりがなければその意味をなしません。全体としての調和がとれていなかったとしたらそれは何とも座りの悪いものに仕上がってしまいます。こういう観点から加筆者の意図を読み解いていきましょう。

さて「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった」という状況描写にも思える節に着目したいと思います(21:4)。この表現は前章で復活されたイエス様に出会った時のマグダラのマリアについての記述を思い起こさせてくれます。そこには「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった」とあります(20:14)。比較すればイエス様が近くに立っていたにもかかわらず、それがイエス様であるとは分からなかったということが共通しています。また言葉こそ違えどその出来事が「まだ暗いうち」(20:1)、「夜が明けたころ」(21:4a)であったことも共通しています。であれば加筆者はこの表現をもって元の文章との関係性を持たせ、さらなる広がりと深まりを描き込もうとしたと考えられます。

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