主日の福音

【復活節第三主日ヨハネ21:1-19 その2】

前回に続いて「既に夜が明けたころ」に着目してみましょう。これを直訳すれば“今や早朝になって”となりますが、ここでは副詞と名詞、そして「~になる」を意味する分詞で表現されています。20章での「まだ暗いうち」を直訳すると“朝にまだ暗闇”となりますが、ここでは“朝に”という副詞と“暗闇”という名詞で表現されています。21章での「早朝」を意味する名詞は新約聖書を通じて2回しか使われていないことから特徴的な言葉と言えるでしょう。これをヘブライ語に訳すると詩編が思い浮かびます(詩編90:14;143:8)。これらを読むと朝とは神の慈しみに満たされ、生涯を通じて喜び歌い、また神様の慈しみを喜び祝う時がはじまることを表象していることが分かります。また神様の慈しみに満たされ、行くべき道を教えられる時でもあり、それによって尚一層、神様に寄り頼る時でもあります。であれば参考にした詩編の中に見られる「あなた」に復活したイエス様を重ねられるでしょう。つまり復活したイエス様に出会う場面は早朝以外には考えられないということです。こうしたことから加筆者は詩編を踏まえてこの箇所を書いたものと思われます。

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