主日の福音

【復活節第二主日ヨハネ20:19-31 その2】

前回に続いて「釘の跡」の「跡」をヘブライ語に訳すると創世記が思い浮かびます。そこには、

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1:26)

とあります。ここでの「かたどり」が「跡」にあたります。そこから「跡」にはイエス様が神の似姿であることが織り込まれていると考えられます。前回の「釘」を併せて考えると「釘(の)跡」とは突き棒でせっつくかのように弟子たちを神様の御許へ導き(コヘレト12:11)、彼等を文字通り神様に釘付けようとした神の僕としてのイエス様の生き様を表象していると言えるかも知れません。であればトマスは十字架での傷跡を身体的に見たり触れたりするということだけではなく、生前のイエス様そのもの … それも「父が、共にいてくださる」イエス様に現実に会ってみなければ「決して信じない」と言ったと考えられるのではないでしょうか(16:32d)。このトマスの思いは「この手をそのわき腹に入れてみなければ」という表現に極まると考えられます。次回は「わき腹」についてお話しします。

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