イエス様が「愛する」と言われる時、それは動詞ではなく、名詞での“愛”と動詞での“もつ”で表現されています。またここでの「愛」はアガペー、即ち、“命をかけて愛すること”を意味すると言われています。これに対してレビ記での「愛する」は動詞で表現されています。
この「愛」はアーハブ、即ち、幾分(いくぶん)世俗的なものであり、人間関係に於ける愛を意味します。このことを踏まえるとレビ記に於ける「愛する」とは同胞に対する気持ちや思いであり、それは環境の中にあって受動的に発現するものであると言えるでしょう。
これに対してイエス様が語る愛とは感情によるものではなく、積極的に“他者に対して愛をもつこと”であると言えます。このような愛を示すことにイエス様の掟の本質があると言えるのではないでしょうか。
その愛の実践を通じて御自分の弟子であることを他者が「知るようになる」とイエス様は言われたのです(13:35)。この言葉はシラ書を思い起こさせてくれます(シラ18:28)。次回はシラ書とイエス様の教えとの繋がりを次回に考えてみましょう。