イエス様が語る言葉・掟を守ることによって与えられる救いとは弟子たちにとって漠然としたものであったでしょう。おそらくイエス様の「わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」ことになるという言葉が実のところ何を意味しているのか弟子たちには分からなかったかも知れません。このことからイエス様は「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」と言われたと考えられます(14:26)。既述したようにイエス様が「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る」と語られた時(14:23b)、その「守る」は非常に特徴的な単語です。この言葉に着目するとシラ書にある「何事をするにも自信を持て。これも掟を守ることなのである」という一節が思い起こされます(シラ32:23)。ここでの「自信を持て」は直訳すると「あなたの命・魂を信じよ」となります。イエス様の言葉を魂に刻み、それを信じることによって神様の下で人は救いに与れるのです。これを信じることもイエス様の掟を守ることであると言えるでしょう。
主日の福音