忘れてはないのは聖霊の働きとは一方的なものではなく、神様やイエス様を信じることなしには働き得ないということです。それゆえにイエス様は悔い改めの必要を悟った者のために聖霊を遣わしてくださると約束されたと考えられます。ちなみにヨハネ福音書にのみ「悔い改め」という言葉が見られません。それはまことの回心とは自らの意志だけではなく、聖霊の働きを通じてなされるものという理解が福音記者ヨハネにあるからなのかも知れません。
イエス様が語られた「思い起こさせる」を考えると民数記が思い浮かびます。そこには、
これは、アロンの子孫以外の者が主の御前に近づき、香をささげてはならないことをイスラエルの人々に思い起こさせるためであり、コラとその仲間のようにならないためであった(民数記17:5a)。
とあります。ここでは動詞ではなく名詞化されています。これは出エジプトの最中にコラ、ダタンとアビラム、およびオンが手を組み、共同体の指導者を抱き込んでモーセに反逆した時のことです。この節が聖霊の働きとどうのように関係するのか次回に考えてみましょう。