イエス様は「わたしと父とは一つである」と言われました(10:30)。イエス様はこの理由として「奪い取る」という動詞を軸に「だれも彼らをわたしの手から」、「父の手からだれも」と表現しています。確かに納得のいく脈絡です。
イエス様の答えはユダヤ人の問いに対するものであることを忘れてはなりません。その場面は「すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。『いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい』」と描写されています(10:24)。
ここでの「取り囲んで」をヘブライ語に訳すると詩編が思い起こされます。そこには、
憎しみの言葉はわたしを取り囲み/理由もなく戦いを挑んで来ます(詩編109:3)。
とあります。これを踏まえればイエス様は理由もなく戦いを挑んでくるかのような激しい敵意に晒されていたことが想像されます。また、ユダヤ人たちはおそらく「はっきりそう言いなさい」と憤怒(ふんぬ)交じりに言い切ったことでしょう。
直訳すると“私たちにはっきり言うことを言いなさい”となります。この言葉を通じても福音記者ヨハネは何かを訴えていると考えられます。この続きは次回に …。