復活したイエス様はベタニアで「手を上げて祝福された」とあります。この行為は非常に象徴的なものであり、レビ記が思い起こされます。そこには、
アロンは手を上げて民を祝福した。彼が贖罪の献げ物、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物をささげ終えて、壇を下りると、モーセとアロンは臨在の幕屋に入った。彼らが出て来て民を祝福すると、主の栄光が民全員に現れた(レビ9:22)。
とあります。この節の前で「主の御前から炎が出て、祭壇の上の焼き尽くす献げ物と脂肪とをなめ尽く(す)」とあるように(レビ9:23)、「主の栄光」が炎として可視的なかたちで現われました。似た描写として聖霊降臨の場面があります(使徒2:1-3)。使徒言行録も福音記者ルカによるものですので、主の栄光が炎として出現することに彼の特徴があると言えます。引用したレビ記を踏まえると数種類の「捧げ物をささげ終えて、壇を下りる」という件(くだり)には最後の晩餐を終えられたこと、そして「臨在の幕屋に入った」には十字架上での死を経て父の御許に行かれたこと、そして「そこ(臨在の幕屋)から出て来て」には復活を読み込めるのではないでしょうか。