イエス様が語れた「貪欲」という言葉をハバクク書を踏まえて考えるのなら財産に固執する者は非常に嘆かわしく、「災いだ」ということです(注)。またローマ帝国の支配下にあって民衆が様々なかたちで搾取される現実にあってイエス様は財産を頼みとする者を「ローマ人のようなものだ」という皮肉を織り込んでいるのかも知れません。イエス様は「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」と話を結ばれました(12:21)。ここで「富んでいる」と訳される言葉は福音書の中でルカでしか使われていません。この言葉はやはり箴言の言葉を思い起こさせてくれます。そこには、
人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない(箴言10:22)。
とあります。であればイエス様は人を豊かにせず、それどころか欺くこともある富を求めるのではなく、決して人を欺くことがない神様の祝福を常に求めることを諭されていると言えるのではないでしょうか。そのような人が集まることによって滅びることのない神の国がこの地上で実現するのです。ここにイエス様のたとえの真意があるように思えます。
(注)原語では悲嘆を表現する間投詞が使われている。無理矢理訳せば「あぁ~何とまぁ」といったところであろう。