今日の福音でイエス様は「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」と言われました(12:49a)。ここでの「火」とは神の怒りと裁きを象徴している言葉です。辞書的には神の罰としてゲヘナ(地獄)で燃える神の怒りの火を表わしていると解説されることもあります。イエス様は「その火が既に燃えていたら」と神様の怒りはまだ十分には及んでいないということを語られました(12:49b)。確かに申命記よれば「あなたの神、主は焼き尽くす火であり、熱情の神だからである」とあります(申命記4:24)。これは偶像礼拝という大きな背信に対して報いがあることを表現しています。しかし神様は地上の人間社会を塵芥に帰すことを望んでいるのではありません。それはノアの洪水後に神様が語られた言葉が表しています(創世記8:21参照)。イエス様は地上に投じられた神様の裁きでもある火が既に燃えることを「願っている」と心情を吐露しています。この言葉は原語では「~したい」という一般的な動詞なのですが、これを訳語にそって「熱望する」という考えるとエレミヤの預言に行き着きます(エレミヤ22:27)。次回はこれを踏まえて考えてみましょう。
主日の福音