東方からの占星術の学者の訪問とその理由を受け、「そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた」とあります(2:7)。単なる状況描写のように思われますが、ここで「ひそかに」と訳された言葉は新約聖書を通じて3回しか使われていない特徴的な言葉です。この節はイザヤの預言を思い起こさせてくれます。そこには、
暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる/わたしは主、あなたの名を呼ぶ者/イスラエルの神である、と(イザヤ45:3)。
とあります。ここで「隠された富」と訳されていますが直訳すると“密かなところに隠された宝”と書かれています。実にバビロニアを征服し、バビロン捕囚からイスラエルの民を解放したペルシアの王であるキュロスこそがこの“富”であり、救い主であると民は考えることもあったでしょう。しかし神様は、
キュロスに向かって、わたしの牧者/わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い/神殿には基が置かれる、と言う(イザヤ44:28)。
とあるように、イスラエルの民の悔い改めにとって神様は彼に重要な役割を与えた過ぎないのです。
確かに神様はキュロス王について「わたしは彼の右の手を固く取り/国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ/どの城門も閉ざされることはない」と言われました(イザヤ45:1bc)。しかし彼の本来の役目はイスラエルの覇権ではなく、神様の御心を実現するための手助けだったのです。実に「わたしの僕ヤコブのために/わたしの選んだイスラエルのために/わたしはあなたの名を呼び、称号を与えたが/あなたは知らなかった」とあることがそれを物語っています(イザヤ45:4)。その神様の目的とは、
わたしが主、ほかにはいない。わたしをおいて神はない。わたしはあなたに力を与えたが/あなたは知らなかった(イザヤ45:5)。
日の昇るところから日の沈むところまで/人々は知るようになる/わたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない(45:6)。
ということをイスラエルの民が理解することだったのです。こうしたことを踏まえると福音記者マタイは「ひそかに」という言葉をもってヘロデ大王が幼子イエスを亡き者にしようとした計画を心の内に秘めていたことだけを表現しようとしたのではないことが理解できます。
ヘロデの猜疑心と残虐性は「ひそかに」という言葉をもって詩編に、
村はずれの物陰に待ち伏せし/不運な人に目を付け、罪もない人をひそかに殺す(詩編10:8)。
茂みの陰の獅子のように隠れ、待ち伏せ/貧しい人を捕えようと待ち伏せ/貧しい人を網に捕えて引いて行く(詩編10:9)。
隠れた所から無垢な人を射ようと構え/突然射かけて、恐れもしません(詩編64:5)。
という中に見出されます。これらでの「物陰」「隠れ」といった言葉がそれにあたります。
今回、取り上げた節は「星の現れた時期を確かめた」で結ばれています。天に現われた星こそ今まで誰にも知られていなかった「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」であるということを学者たちから聞いたヘロデ大王は大きな驚きを隠せなかったでしょう。なぜなら彼等の言葉は自分が失脚し、予言された幼子によって新しい時代が始まるということを意味しているからです。ヘロデはこのことに我慢ならなかったはずです。ところで「確かめた」と訳される言葉は新約聖書を通じてマタイの中で2回しか見られません(他2:16)。次にこのことについて考えてみましょう。
「そして、『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した」とあります(2:8)。ここで「詳しく調べ」を直訳すると“念には念を押して詳しく調べよ”となります。これと似た表現を申命記に見出せるのですが、その節の前後を挙げると、
あなたの神、主があなたに与えて住まわせるどこかの町のうわさとして(申命記13:13)、
あなたの中からならず者が現れて、「お前たちの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」と言って、その町の住民を迷わせているということを聞いたならば(申命記13:14)、
それを尋ね、探り、よく問いたださねばならない。それが確かな事実であり、そのようないとうべきことがあなたたちの中で行われたのであれば(申命記13:15)、
その町の住民を剣にかけて殺し、町もそこにあるすべてのものも滅ぼし尽くし、家畜も剣にかけねばならない(申命記13:16)。
とあります。ここで15節の「尋ね」と訳された言葉がそれにあたります。この件を読むと福音記者マタイが幼子を殺してしまった元ネタのようなものが感じられるのではないでしょうか。