主日の福音

2026年5月10日 【復活節第六主日 ヨハネ14:15-21】

今日の福音でイエス様は「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と言われました(14:16)。

ここで「別の」という言葉から「弁護者が二人いるのか」という素朴な疑問が生じます。原語でもすべて同じ言葉であることから、何らかの違う意味合いが込められているとすれば、イエス様が語られた「弁護者」といったたぐいの言葉を考えることによってこの意味が理解できるように思えます。

「弁護者」という言葉ですが、これは福音書の中ではヨハネの中で4回しか使われていません(14:16, 26; 15:26; 16:7)。であればこの言葉と本質的に類似する言葉がどこかで語られているということになります。このように考えると「イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである」という言葉が思い起こされます(7:39)。ということは「弁護者」、即ち、原語で“助け主”を意味するのはイエス様がこの先、受ける“霊”のことであると言えるのではないでしょうか。

この「“霊”」と訳された言葉には特別な意味が含まれていることからえてダブルクォーテーションマーク(“”)でくくられていると考えられます。原語にはこのような記号はありません。また、ヘブライ語に訳しても「弁護者」や「助け主」といった意味はありません。ギリシア語では“息をする”“吹く”を語源とする“空気”“風”“息”を意味します。

これを「弁護者」との関係で考えると後にイエス様が語られた「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」が思い起こされます(14:26)。
ということは「別の弁護者」の「別の」とは洗礼者ヨハネが語った「“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である」の“霊”と類似したものではないかと考えられます(1:33b)。ここでも「“霊”」は原語には見られないダブルクォーテーションマーク(“”)でくくられています。であればイエス様が遣わされる聖霊はイエス様の名によって洗礼を通じてお授けになるためのものであると言えるのではないでしょうか。

イエス様は二種類の弁護者、また聖霊や霊が存在するということを語っている訳ではありません。神様から遣わされるのは一つのものです。聖霊の働きの一つの面はイエス様を通じて神様と交わるための弁護者であり、霊であるということです。そしてもう一つの面は復活したイエス様が神の独り子であること、またそれゆえに生前の御言葉や御業は神様からのものであり、信じるべきものであることを悟らせ、洗礼を授けるための霊であるということです。

このように考えるとイエス様の「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである」という言葉が思い起こされます(15:26)。

つまり弁護者とは父のもとから遣わされる「真理の霊」でもあるということです。その真理とはイエス様の御言葉と御業、即ち、福音を通じて証しされる神様の御心や御旨であると言えるでしょう。また洗礼を通じてどのような困難な状況に於いてもそれを宣教するために必要となる弁護者でもあります。福音は神様の真理です。このことを証し続けるための“霊”をイエス様は“別の”と言う言葉に込めているのではないでしょうか。

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