主日の福音

2026年10月11日 【年間第二十八主日マタイ22:1-14】

今日の話は天の国のたとえであることから婚宴とは天の国での宴会のことであり、王が婚宴への招待を伝えるために遣わした家来とは預言者たちのことであることは明らかです。

彼等は婚宴の「用意が整いました」と伝えました(22:4d)。原語では完了形で表現されています。イエス様は伝道の始めに「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言われました(4:17)。ここでも「近づいた」と訳された言葉は完了形です。つまり既に天の国はイエス様と共に近づいていたのです。また「王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせた」の「呼ばせた」も同じ完了形です(22:3)。

であれば王は人々を既に呼んでおいていたにもかからわず、彼等は家来の言葉を無視し、婚宴に行くことよりも自分のしたい仕事を優先するばかりか、伝令の役割を果たした家来たちを殺すことまでしたのです(22:5-6参照)。これに対し王は憤慨ふんがいし、「婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。」と語ったのです(22:8b)。これはイスラエルの民が彼等、即ち、預言者たちを通じた神様の御言葉や御心に聞き従うどころか、あまつさえ殺してしまうことを繰り返してきたことを表象していると言えます。

民が婚宴への招待に応じないことの結果、「そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」(22:7)のでした。この「怒り」の凄すさまじさはまず「軍隊」という言葉に表れていると言えます。これは新約聖書の中で非常に珍しい言葉であり、ヘブライ語には見られません。次に「人殺し」も同じです。 

これらに対して続く「滅ぼし」は頻繁に使われる動詞です。これをヘブライ語に訳し、その使われ方を旧約聖書に求めるとイザヤの預言が思い起こされます。そこには、

死者が再び生きることはなく/死霊が再び立ち上がることはありません。それゆえ、あなたは逆らう者を罰し、滅ぼし/彼らの記憶をすべて無に帰されました(イザヤ26:14)。

とあります。つまり神様に反する者は存在したという事実すら地上から消されてしまうことになるのです。

なぜ王は招いていた人々ばかりではなく町までも根絶させたのでしょうか。このことは明らかに「ソドムのための執り成し」と題される箇所と矛盾します(創世記18:16-33)。アブラハムの言葉に見られるように主なる神様は「正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされる」ことはなさらないはずです(創世記18:23)。

イザヤの預言では先程と同じ章に、

神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる(イザヤ26:7)。

という節が見られます。神様が御自分に向けて迷うことのないように真っ直ぐで、疲れることのないように平らにされた道を外れるのならば、それ相応の報いがあるのは当然のことです。

ここで「まっすぐ」はマタイ福音書に於ける洗礼者ヨハネについての解説部分にも見られます。マタイで引用されているのは「主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。」です(3:3c)。ここでの「まっすぐ」をヘブライ語に訳すると上述で引用したイザヤの言葉に相当することからマタイではこの節が踏まえられているとも考えられます。また神様の御旨に反する者についてはやはりイザヤの預言が思い出されます。そこには、

神に逆らう者は、憐れみを受けても/正しさを学ぶことがありません。公正の行われている国で不正を行い/主の威光を顧みようとしません(イザヤ26:10)。

とあります。つまり神様に反する者はどうしようもないということです。彼等は「どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。」という言葉を信じ切れないのです(イザヤ26:4)。 イザヤの預言には、

神はふさわしい仕方を彼に示し、教えられる(イザヤ28:26)。

とあります。直訳すれば“正しさに関して懲こらしめ、神々は教える”となります。つまり神様は人間を完全に諦めたわけではなく、御自分のことを伝える何らかの方策を取られたと言えます。その「示し」と「教え」が同じイザヤの中で、

わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石/堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない(イザヤ28:16bc)。

と語られているのです。このことについてイエス様御自身が後に「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」と言われています(21:42bcd)。この「隅の石」がイエス様のことであることは明らかです。

確かに今日のたとえの前半は随分と物騒な王の振る舞いに思えます。しかし人間を愛する主なる神様は救いのためにイエス様を遣わしてくださったのです。こうしたことがイザヤの預言を様々なかたちで踏まえ語られているのではないでしょうか。

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