主日の福音

2026年7月12日 【年間第十五主日 マタイ13:1-23】

今日の福音は「その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた」という言葉から始まります(13:1)。続いて「すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた」とあります(13:2)。ここでの「群衆」をヘブライ語に訳するとヨエルの預言が思い起こされます。そこには、

裁きの谷には、おびただしい群衆がいる。主の日が裁きの谷に近づく(ヨエル4:14)。

とあります。

ここで「おびただしい群衆」と訳されていますが、原語では“群集また群集”と同じ言葉の繰り返しにより強調されています。引用した節は「諸国民の裁き」と題された中にあり、その始まりは「見よ、ユダとエルサレムの繁栄を回復するその日、その時」とあります(ヨエル4:1)。ここでの「その時」とは旧約聖書に於いては世の終わり、即ち、終末を意味します。

これを踏まえるとイエス様が群衆に話していたのは終末に於ける神の裁き (ヘブライ語では“厳しい決定”)のことであると考えられます(13:39, 40, 49; 24:6; 28:20参照)。であれば群衆は癒しの業ではなく、御言葉を聞くために集まったと考えられるのではないでしょうか。

この「集まった」をヘブライ語に訳すると歴代誌が思い浮かびます。そこには、

ユダの人々は主を求めて集まった。ユダのすべての町から人々が主を求めて集まって来た(歴代誌下20:4)。

とあります。これは異国との戦いを前にして主の助けを求めて神殿の庭に人々が集まった場面です。歴代誌によれば結果として敵勢力の同士討ちにより彼等は自滅しました(歴代誌下20:23)。まさに主なる神を信じたがゆえに無駄な血を流すことなく事実上、勝利を得ることができたと言えるかも知れません。

この引用した節を踏まえると群衆はイエス様が主であることを認め、何かしかの神様の御言葉をイエス様から聞くこととイエス様と共に祈ることに期待をしていたと思われます。このために大勢の群衆がイエス様のそば(原語ではイエス様のところ)へ、また近くに集まって来たと考えられるのです。

さて面白いことに福音の冒頭の二節には共通した原語が使われています。それは「座っておられた」と「腰を下ろされた」です(13:1-2)。同じ言葉が繰り返されているということはそれだけ大きな意味があるということです。ではその「大きな意味」とはどのようなことなのでしょうか。

この言葉をヘブライ語に訳すると詩編が思い浮かびます。そこには、

悪事を謀る者の集いを憎み/主に逆らう者と共に座ることをしません(詩編26:5)。

とあります。これを踏まえると前述の通り、群衆はイエス様の奇跡を期待して集まったのではなく、主の御旨をイエス様から聞き、共に祈ろうとしていた者たちであったということです。つまり悪いことを企むことはせず、主に従って生きようとする者たちであったということが強調されていると考えられます。だからこそイエス様は敢えて御自分に注目させるために舟に乗って群衆一人ひとりを見渡せるようにそこに腰を下ろされたと考えられるのではないでしょうか。

湖上の舟で腰を下ろしているイエス様とは反対に群衆は「皆岸辺に立っていた」とあります。確かにイエス様をしっかり見たいことから群衆は立っていたと思われます。この「立っていた」をヘブライ語に訳すると全く同じ言葉が書かれた列王記と歴代誌に行き着きます。そこには、

王は振り向いて、イスラエルの全会衆を祝福した。イスラエルの全会衆は立っていた(列王記上8:14;歴代誌下6:3)。

とあります。

この節が福音箇所とどのような関係をもつのでしょうか。引用した節はかつてペリシテ人に奪われた契約の箱が様々な経緯をもって神殿に置かれることになった場面です(列王記上8:6;歴代誌下5:7)。その時、ソロモン王が祈りの後、振り向いて安置式に参加した全会衆を祝福しました。つまり岸辺に立っていた群衆は「神の箱」ならずも神の独り子を見、話を聞いて更に祝福を受けたということを読み込むことができるのではないでしょうか。

今日の福音ではイエス様のところに多くの群衆が集まった状況が書かれていました。ヨエルの預言を踏まえれば彼等は癒しの御業ではなく神様の言葉を求め、それにこたえてイエス様は終末に於ける神様の裁きのことについて語られたと考えられます。なぜなら“座る”を意味する言葉の繰り返しにより彼等は主なる神に従おうとする者たちであったことが詩編を踏まえて表現されていると考えられるからです。

そのような彼等は舟で腰を下ろされたイエス様とは異なり、誰もが岸辺に立っていました。このことは列王記や歴代誌を踏まえるとイエス様から祝福を受けたということが意味されていると考えられます。福音記者マタイはこのようなことを織り込んでいるのではないではないでしょうか。

 

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