主日の福音

2026年6月28日 【年間第十三日 マタイ10:37-42】

イエス様の言葉は時として何を言っているのか不明であったり、過激であったりもします。それは現代の価値観に基づき文面を読んでいるからであり、当時の人がそれをどのように聞いて理解したのかを考える必要があります。そもそも福音書はギリシア語を話す当時のユダヤ人に向けて書かれたものです。そこでいつものように原語と旧約聖書からイエス様の言葉の意味を読み解いてみたいと思います。

前半でイエス様は「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」と言われました(10:37)。しかし両親や家族よりもイエス様を愛することは無理であると言えるでしょう。ちなみにここでの「愛する」は原語では“命をかけて愛する(アガパオー)”ではなく“友人として愛する(フィレオー)”が使われています。この表現をヘブライ語に訳し、同じ節の中で繰り返されている箇所を旧約聖書に求めると箴言が思い起こされます。そこには、

高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない。うそをつく唇は高貴な者に一層ふさわしくない(箴言17:7)。

とあります。この箴言の表現からイエス様の意図を考えてみたいと思います。

引用した箴言を直訳すると“優れた言葉は愚かな者には相応ふさわしくない。まして偽りの唇は高貴な者にとって…”となります。ここでの「高貴な者」とは身分のことではなく、原語から“神様への信仰が篤い者”のことであると考えられます。これに対し「愚かな者」とは家族を愛していると偽りを語る者のことであると言えるでしょう。

つまりイエス様によれば「父や母を愛している」「息子や娘を愛している」と言ってはばらない者は偽り者の典型であるということです。彼等は実のところ家族のことはそれほど頭にはなく、律法や世間体から家族を愛しているかのように体裁を取りつくっているかのようにイエス様には見えていたのではないでしょうか。

このようなやから、即ち、口先だけで律法にかなった生き方をしているかのように吹聴する者たちがイエス様の時代には多かったということです。このような者は神様やイエス様の福音を口にすることは許されません。なぜなら彼等は言葉と行いをもってイエス様や「神の言葉を無にしている」ようなものだからです(15:6)。聖書的に考えるとそのような者たちのことをイエス様は御自分に「ふさわしくない」と言っていると思われます。

後半でイエス様は「また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」と言われました。ここでの「従わない」をヘブライ語に訳して考えると似たような表現が歴代誌に見られます。そこには、

ところが、ある神の人が来て言った。「王よ、イスラエルの軍隊を同行させてはなりません。主はイスラエルの者、すなわちどのエフライム人とも共においでにならないからです(歴代誌下25:7)。

とあります。ここでの「同行させてはなりません」がそれにあたると思われます。

この節を踏まえるとイエス様は「自分の十字架」、即ち、死に至るまで自らの苦しみを自分自身が積極的に担おうとしない者の同行は許さないと言われていると考えられます。なぜならそのような者は戦場で役に立たない兵士のようなものであり、最後までイエス様と共にいないことが明らかだからです。それは神様の力やイエス様の御言葉や御業を信じ切れないということでもあります。

ではイエス様に「ふさわしくない」者の反対である“ふさわしい”者とはどのような人なのでしょうか。改めてこの言葉をヘブライ語に訳し、神様とイエス様との関係で考えるとある詩編が思い起こされます。 そこには、

主よ、あなたの定めは確かであり/あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り(詩編93:5)。

と書かれています。ここから考えると「あなた」には神様、「神殿」にはイエス様を読み込むことができるでしょう。なぜならイエス様はかつて「言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある」と言われているからです(12:6)。

これを踏まえるとイエス様の尊厳、即ち、イエス様が救い主であることを信じ切れる者がイエス様に相応ふさわしい者であると言えるのではないでしょうか。であればイエス様の福音が神様からのものであり、まったく確かなものであることを信じられるはずです。

今日のイエス様の言葉は福音として考えるのには少しはばかれるような内容です。確かに文面のみを読めばそうでしょう。しかしイエス様は旧約聖書を踏まえ、その内容を時代に合わせて分かり易くたとえられた考えられます。つまり“神様を信じるのなら偽りを口にするな! そのような者は神様に相応ふさわしくない!”ということをイエス様は強調しておられたのではないでしょうか。それ程までに神様を信じるということが見せかけだけのものなっていたということかも知れません。

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